郭同慶会長の挨拶 当会名の「翰墨」と言う言葉は、日本では余り馴染まないと思いますが、中国ではごく普通に使われています。展示会や揮毫会では「翰墨風流」「翰墨伝情」などの四字熟語をよく見掛けます。筆墨とか文辞と言った意味で使われ、その歴史はとても長いのです。約2000年前に遡りますが、後漢(25~220)の著名な天文学者・文学者、張衡(78~139)の《帰田賦》に「揮翰墨以奮藻」(翰墨を振い詞藻を奮い立つ)という句があり、これがおそらく最も古いと言えるでしょう。三国魏の曹操の息子、曹丕(187~226)の《典論・論文》にある「寄身於翰墨」(翰墨に身を寄せる)の句も、結構有名です。 私は昭和62年夏に来日しました。来日からまもなく、群馬大学医学部教授の田所作太郎先生並びにご夫人・女医浪子先生のご厚意により、前橋市内にある田所医院旧館を自由に使わせて戴くことになりました。そこで書道を個人的に教えていましたが、発表会を行うのを機に、正式に書道会として発足することになりました。会の名前は会員より募った結果、「翰墨会」となりました。初代の会長には、弟子の中から小林巌(群馬大学教授・数学家)が、二代目には紺谷金吾(旧国鉄出身で会の一番年長者)がそれぞれ選ばれました。後に皆さんからの要望で、私自身が会長を引き受けました。 その後、中国流のお稽古や小さな発表会及び中国書道研修旅行などを細々と続けて参りました。平成27年には、私が6年間の書道講師を務めた(東京)中国文化センター書道講座のOBが核となり、東京支部が発足しました。平成30年に前橋本部と統合し、会の名も「翰墨書道会(王 蘧常先生顕彰会)」と改めました。 当翰墨書道会は、小さな会ではありますが、3つの特徴を有しています。 その2は、各書体、とりわけ他の教室で希少になっている「隷書」や「章草」を学ぶことが出来ることです。3年も有れば驚くほどに上達します。やる気さえあれば、私が保証します。 その3は、名誉会長や会長などが中国書壇との交流チャンネルを多く持っていることです。このため、会員の皆さんが中国書家と触れ合う機会を多く持つことが出来ます。これまでにも、西泠印社副社長の銭君匋師や同副社長の韓天衡氏などを日本へ招聘し、展示会や講習会及び実演会を開きました。直近では、2020年2月に恩師・王瑗仲(蘧常)生誕百二十周年記念のため、東京と前橋両市で「日中書道展」を開催した際に、蘇士澍名誉会長らが来日しました。また、中国書壇の大家20人の作品を招待しました。 来年2022年は私が来日してから35年、帰化してから30年の節目の年となります。今日までに私の人生にとって、ラッキーなことが二つもありました。その1は、若い頃に最高の師に巡り会ったことです。書道は王蘧常、篆刻は銭君匋、洋画は方世聡、勉強意欲旺盛な私にとって最高のご指導をしていただきました。その2は、来日してから周りの人々に支えられて、自由に書画活動を行えることです。中国には「落葉帰根(落ち葉は根元に帰し)」と言う熟語がありますが、私は「根元」の上海に戻る予定はありません。余生はこの日本の地で書画を全うし、また微力と自覚しながらも必ず会員の皆さんに本物の書芸を伝え、合わせて日中書道交流にも尽力して参る所存であります。
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